【『機劇〜』上演にあたって】篠田千明×中林舞 インタビュー

いよいよ7月11日(金)より幕を開ける、篠田千明新作『機劇〜「記述」された物から出来事をおこす〜』
東京での本格的ソロ活動第一弾を前に、快快脱退後の篠田が何を考え、どんなことをしてきたのか?
そして今回どのようなことを考え、チャレンジしようとしているのか?
篠田とその活動の現在にせまる、ロング・インタビューを敢行しました!

第二弾は、今年4・5月にバンコクにて『It’s my turn』プロジェクトを進めてきた俳優・中林舞と篠田へのインタビューです。ぜひ公演をご覧になる前にご一読ください!

第一弾篠田千明インタビューはこちら

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写真 2014-07-03 15 05 04――今回の「機劇」という作品のAプログラムで発表される新作の1つは、バンコクのナンルーンと呼ばれる地域に伝わる伝統芸能「ラコーン・チャートリー」が元になった作品ですよね。ナンルーンとの関わりは今回が初めてではなくて、2012年にバンコクで「SHIBAHAMA」をやったときも、ナンルーンの子供たちが来てくれました。ナンルーンとの関わりができたのは何だったんですか?

篠田 最初は私がひとりでワークショップをして、「SHIBAHAMA」をやるときにも快快でワークショップをやったんだよね。
中林 「SHIBAHAMA」は皆がその土地でフィールドワークをやって発表する作品だけど、私は何をやろうかってときに、タイにはタイダンスがあるらしい、と。それで篠田に相談したら、「ナンルーンにタイダンスの先生がいるらしいよ」って紹介してくれて。それでワークショップと平行して先生のおうちに習いに行って、最後に発表会をして。あの発表会、楽しかった。あれをやったことによってウルルン滞在記みたいな雰囲気になったよね。
篠田 先生は結構昔気質の人だから、教える人を選ぶんだよ。あんまり態度の悪い子には教えないみたいなところはある。
中林 私は15年ぐらいクラシックバレエを習ってたんだけど、そのときに一番長く習った先生にすごく似てた。
篠田 シミーズ着てるところとか?
中林 シミーズ着てるところもそうだし、居住まいも似てるし、不機嫌になると顔に出るところも似てる。
篠田 あと、抜き打ちテストするとこも似てるんだよね?
中林 あのときはヤバかった(笑)。「SHIBAHAMA」のときに習ったダンスがあるんだけど、今年の4月に行ったときはそれとは別の踊りを習ってたのね。その稽古の最中に、いきなり「あのとき教えたのを踊ってみろ」って言われて。そのときパッと踊れなかったら、「何で覚えてないんだ!」って怒られたんだよ。それで、篠田と一生懸命思い出して練習して、次の稽古のときに「思い出しました」と言ってみたんだけど、そこでは観てくれなくて。で、何日か経ったらまた抜き打ちで「やってみろ」と。ああいうところも似てる。

――そこで教えてもらったダンスをもとに、5月24日と25日にはバンコクで「it’s my turn」を発表したわけですよね。あの作品を作るに至った経緯を教えてもらえますか?

篠田 最初imtはね、「it’s my turn」にも出てるナモーって女の子のお姉さんから相談があったの。「ラコーン・チャートリーって踊りがあるんだけど、踊れるのは一人だけになっていて、それをもとに何かできないか」と。じゃあ日本人の俳優を呼んで作品を作ろうかってときに、先生もやし(中林)のことをすごく気に入っていて、「やしが来るなら教えてあげてもいい」ってぐらいのノリだったから、じゃあやしを呼ぼう、と。そのときに先生が「私、これをやしに教えたいのよ」と言ったのが、今回「機劇」でも披露するチャイヤチェットという演目のなかの踊りで、「ヴィラ」って名前の猫さんが出てくるお話で。この踊りは猫のマスクをつけてやる踊りで――ちなみに「it’s my turn」で使ったマスクは危口(統之)君が作ってくれたヤツなんだけど――そのマスクが可愛くて。タイダンスはこういうマスクをつけてやることが多いんだけど、猫のマスクっていうのがまず珍しいし、お話の中に猫が出てくることも珍しいんですって。
中林 振り付けもすごく可愛かったよね。タイダンスは歌詞の当て振りになってることが多いんだけど、「猫が何かを探してる」って歌詞のときは、振り付けもこうやって何かを探してる動きをするのね。そのときに、マスクをつけてそれと一体化すると、また違ったレイヤーの見え方をするんだよね。その、マスクを活かした振り付けが結構面白かった。

052425-9篠田 私が面白かったのは――そのときはそんなにキッチリ考えてたわけじゃないんだけど、バレエをしっかりやってたやしがタイダンスを習得するときに、身体の上でどういうものが重なっていくのかということなんだよね。そこが今回の「機劇」にも繋がるところで。

――実際にタイダンスを習ってみて、どうでしたか?
中林 2年前にもわかってたことではあるんだけど、タイダンスとバレエでは全然違っていて。「これが美しい」とされることも違うし、どこに重心を置くかってことも違うし……。タイダンスはわりと、日舞に近いかもしれない。
篠田 日舞も当て振りだしね。普段はまずテキストがあって、そのテキストを媒介にして役者さんと一緒に作品を作るんだけど、今回はそれと全然違っていて。今回はやしの身体が紙のような役割だったんだよ。
――紙のような役割?
篠田 演劇作品を作るとき、情報を紙に書き留めて役者さんに伝えるわけじゃない? でも、今回は紙を通じて情報を伝えるんじゃなくて、先生の身体からやしの身体に情報が移っていったんだよね。そのことが私は面白くて。やしはバレエを習っていて、今は女優をやっていて――その身体に、別の情報が書き込まれていく過程が面白かった。
中林 タイダンスのお稽古のとき、篠田も毎回付き添ってくれて。
篠田 面白いんですよ、ほんと。普通の人だったら試行錯誤すると思うんだけど、やしは振りを覚えるのが早いから、とりあえず形は一発で入っていくんだよね。やしはたぶん、一次的な情報を先生から全部コピーしてるんだよね。その過程は3日くらいで全部終わって、そこから10日間くらいかけてタイダンスとしてアップロードしていく作業になる。
――それはどういう感覚なんですか? 既に自分の身体にインストールされてる動きと対応させて覚えていくのか、それともまったく別物としてインストールするのか。
中林 どうなんだろう? でも、踊りの動きって基本は一緒だと思うんだよね。ヒップホップとかになるとまた違うかなと思うんだけど、たとえば腕を右から左に動かすという動作にもある程度の型があるから、動きの起点と、軸やジョイント部分を考えてるのかも。
篠田 横で見てると、先生の動きを見ながらコピーしたあと、頭の中でイメージする時間を必ず入れてるよね?
中林 そうかもしれない。一つ一つの振りを入れていって、振りと振りを繋げていくのかも。そうやって覚えてるときに、先生も「これはしばらく放っておかないと良くならないな」ってことがわかるから、こうやってカウントだけ取って、こっちを見てない時間があるんだよ。「見てないじゃん」と思うんだけど、でも、こっちがちょっと掴んでくると、チラッとこっちを見て「ああ、それそれ」と。
篠田 ようするに、二人は言語を介したコミュニケーションというものをまったくしないのよ。私はちょっとだけタイ語がわかるから、最初は先生が言うことを訳そうとしてたこともあったんだけど、やしが「翻訳されると、先生の気持ちがどんどんわからなくなる」と言って。私が翻訳しようとすると、先生は当然、私のほうに向いてしゃべっちゃうんだよね。でも、翻訳しなくなったらやしのほうを向いて教えるようになって。大事なとこだけは翻訳できる子が来れる日に教えてもらったけど、それもほとんどやらなかったよね。
中林 さっきも言ったようにタイダンスは当て振りになってるから、お話の流れがどうなっているのかは翻訳が入らないと全然わからないんだけどね。でも、どういう動きをすればいいのかってことは、言葉が通じないと先生が自分で動いて説明しようとしてくれるから、そうやって教えてもらったほうが早いかな。

篠田 そこで入ってくる情報はものすごい量があると思うんだけど、それは私には見えない情報だったんだよね。先生が見本を見せてくれるとき、たとえば腕を動かすとき、この高さで動かすか、それともこの高さで動かすのかっていう差はどのぐらいの範囲でわかるの? ミリ単位でわかったりする?
中林 数字としてはわからないけど、私が踊ってみたときに、先生が「マイチャイ、マイチャイ」(違う、違う)って見本を見せてくれるのね。それを見ると、さっき自分がやった状態との違いは結構伝わってくる。「あ、腕が上がり過ぎてたから『違う』って言われてるんだ」とか。
――そうやって身体から身体に情報を移したときに、混乱はないんですか? これは役者さんという存在に対して僕が常々抱いている疑問でもあるんですけど、自分の身体に違う情報を一度入れて、またそれを抜くわけですよね? そこで混乱は生じないんですか?
中林 ない。でも、役者さんのほうが難しいですよ。たとえば、稽古のときにある台詞を言ったときに、演出家から「今のトーンで」とか言われたことを再現できるように精度をあげていく作業が一方にあって、ダンスも基本的にはこの作業なんですよ。再現度を上げていく。役者さんにはそれプラスもう一層あって、役者さんは基本的にコミュニケーションで成り立つことだから、「この台詞はこのトーンで」と言われていたとしても、相手が稽古のときより大きい声で来たら、こっちも大きい声になるほうが普通な反応になるんだよね。
篠田 でも、勘のいい役者さんは二層に分けて考えてない気がするんだよね。何かを再現するってときに、自分の台詞だけを再現するんじゃなくて、相手との関係性を含めてまるっと再現してるのかも。
中林 そうかもね、最近その感覚もわかるし、必要なことだとおもう。たぶん私は身体表現を長くやっていて、再現度を上げていく作業を15年やった上で役者を始めたから、そういう思考回路になってるのかもしれない。

――「it’s my turn」はいくつかのパートに分かれてましたけど、それはどうしてあの構成になったんですか?

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篠田 あれはね、実は全部理由があるんだよ。最初にやったのは4月5日で、お寺でラコーン・チャートリーを抜粋でなくオリジナルのままの形式で上演してみたときに気づいたんだけど、あのタイダンスをやるために踏まなきゃいけないステップがすごく多いんだよね。ラコーン・チャートリーには6つのステップがあって、「it’s my turn」も、今度「機劇」でやるやつも6つのステップになってる。

――ああ、そういうことだったんですね。そのラコーン・チャートリーの6つのステップの中で、一番面白いと感じた要素って何ですか?
篠田 ラコーン・チャートリーは、始める前にタイトルコールがあるんだよね。タイトルコールがあるってことは、明らかに何かの演出がかかってるじゃない? タイトルコールがある理由はサッパリわからないんだけど、その踊りを成立させるために、あるときからやり始めたんだと思うんですよ。タイトルコールって、舞台を成立させるための根本的なフレームの一つでもあると思うんだけど、それが様式化されてるというのは面白いことだなと思いましたね。私も「演劇を成立させる必然性は何か」ってことをいつも考えながらやってるんだけど、タイダンスというのは一つの伝統芸能だし、慣習として上演されているものであるのに、そういう伝統芸能でも舞台を成立させる必然性みたいなものが必要なんだなってことが、結構面白かった。しかも、ラコーン・チャートリーでは、タイトルコールに当たるパートが20分くらいあるんだよ。
――えっ、そんなに長いんですか?
篠田 結構長かったよね?
中林 長いんだけど、結構適当な感じでやってたよね。
篠田 うん。先生がそのパートを踊ってるんだけど、その舞台の後ろには他の出演者が控えてるの。その人たちもお客さんから丸見えになってるんだけど、他の出演者のおばちゃんが、舞台で踊ってる先生に話しかけてたんだよね。しかも、緊急事態だから話しかけてるってわけでもなく、ごくナチュラルに話しかけていて。
中林 私もそれはビックリした。「話しかけちゃった」と思って。先生も、最初のうちは踊りながら答えてたんだけど、最後には踊りを中断して答え出して。
篠田 あれは衝撃だったよね。「やめていいんだ!?」って。とにかく緩いんだよ、本当に。「伝統芸能だからキッチリやらないと」みたいなことが一切なかった。
中林 ちょっと、秩序のわからないところが多かったよね。日本人だと、絶対あんなふうに話しかけないよね。
篠田 話しかけないと思うよ。いや、盆踊りレベルならあるかもしれないけど。

――そのラコーン・チャートリーをもとにした作品を日本に持ってきてやるってときに、どうしても「ああ、タイの伝統芸能をやるんだね」という意識で観にくるお客さんが多くなっちゃうんじゃないかという気がするんですよね。

052425-2篠田 そうだね。今回「機劇」でやるのはやしのパートだけ抜き取ったものだから、そこだけ観るとそんなことはないと思うんだけど……。いや、最初は先生とかバンドの人たちにも来てもらって上演するって話もチラッとあったんだけど、「何のためにそれをやるか」という理由付けがないまま連れてきちゃうと、それは見世物にしかならないってことは警戒していて。ただ、ラコーン・チャートリーは元々、そこで上演されているものを皆が観にくるという芸能ではなくて、結婚式だとかお葬式があるときに呼ばれていって披露する芸能なんだよね。その「何かのために呼ばれる」という形を大事にしたいと思っているし、それをうまく当てはめることができれば、日本でIt’s my turnを上演することにも意味はあると思ってる。

(2014年7月3日、池袋ドゥアン・ダーオにて
取材・構成・文=橋本倫史)

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