【トークレポート】 石川初×菅俊一×篠田千明「情報の圧縮と解凍、重ねられる点としての身体」

2014年7月13日、『機劇〜「記述」された物から出来事をおこす〜』Aプログラム上演後、
石川初(ランドスケープデザイナー)×菅俊一(表現研究者)×篠田千明 という布陣で「情報の圧縮と解凍、重ねられる点としての身体」というトークが催されました。
機劇シリーズのコンセプトの核の一部ともいえる、記述され、伝えられるもの=情報の圧縮/解凍という行為と、そのプロトコル(約束事)について考えを深めてゆくことをテーマとした本トーク。作品や篠田の創作過程についての話から、さまざまな文化や記録する行為において共通して考えることのできるテーマへと広がる、スケールの大きい刺激的な場となりました。

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shinodatalk0713篠田 えー、じゃあ紹介から始めたいと思います。私は、今回の『機劇〜「記述」された物から出来事をおこす〜』Aプログラム――これからBプログラムもありますが――の演出をやっている篠田千明と申します。アフタートークのゲストは、ランドスケープデザイナーの石川初さんと、表現研究者の菅俊一さんです。えっと、トークのタイトルは「情報の圧縮と解凍、重ねられる点としての身体」ということになってるんですけど、まずは二人が普段どんなことをやっているか、紹介してもらえますか?
石川 普段どういうことをやっているか??
篠田 なんか、“地図”の話とか、そういう感じ。
石川 えーと、いや、そうですね。普段はランドスケープデザインという設計事務所で、造園の設計の仕事をしています。仕事柄、地図とか地形に興味があるんですけど、GPSを持ち歩いて、自分の行ったところをずーっと記録して、地図上に自分のログを描いてみたり――そんなことをやっています。
篠田 もう10年ぐらいやってるんですよね。それで、菅さんは――Aプログラムの後半で披露した「ダンススコアからおこしてみる」のほうは、アン・ハルプリンのダンススコア(舞踊譜)から実際にダンスをおこしてみるってことをやってたんですけど、そのスコアを貸してくれたのが菅さんなんですけど――普段はどんなことやってるんですか?

dancescore

[ダンススコア]編で使用した  アン・ハルプリンのスコア


菅 あ、菅と申します。普段は人間の知覚・認知――人はモノをどう見て理解しているのかであるとか、どうすれば人は物事を面白いと感じることができるのかであるとか、そういった研究をしています。今は多摩美術大学美術学部統合デザイン学科という新学科で教えているんですけど、研究した成果を映像作品だったり文章だったり、そういった形でアウトプットをしています。で、アン・ハルプリンのスコアなんですけど、これはまず篠田さんから「スコアに興味がある」みたいなことを聞いたんで、「じゃあうちにいくつか本があるよ」という話になったときに、うちにあるいろんな本の中から篠田さんがそれを見つけて、セブンイレブンでコピーして持ち帰ったという。

篠田 そう、最初からアン・ハルプリンのスコアをやろうと思ってたわけじゃなくて、楽譜から何か出来事をおこせないかってことを考えてたんですよね。何のスコアをやるかってことを決める前から、福留麻里ちゃんには「何かを一緒にやりませんか」とオファーをしていて。それで、どんなものがいいかなと考えているときに、菅さんが「スコアのことを調べてる」っていうから、菅さんちで色々見せてもらったんですよね。そこで「ラバンって人がいる」って話を聞かされて、そのラバンって人が“ラバノーテーション”という舞踏の記述法を考案したって話を聞いたから、最初はラバンからまず入って行ったんですよ。でも、ラバンの舞踊譜はすごく言語っぽいというか……。立ち位置とか手の振りとか、すごく細かく指示されていて、それが読める人にはちゃんと再現できるように書かれてるんだけど、私にはまったくわかんなかったんですね。「あ、読めない」と。でも、そこでこのハルプリンのダンススコアを見たときに、パッと見で「これなら読める」と思ったんです。ただ、実際に取り組んでみると、再現出来ないことが多かったんですね。たとえば、このスコアにある横軸はタイムラインで、縦軸は場所になってるんですけど、その場所っていうのは「LOBBY」「AUDIENCE」「PROSCENIUM」「STAGE」「PIT」「BACKSTAGE」「DRESSING」と書かれてるんですね。でも、この「ピット」というのをどう捉えるかがわからなかったんですよ。あと、スコアには動線が書き込まれてるはいるんですけど、ただの黒い線は「MOVING」と書いてあるんですね。だから動いてるんだってことはわかるし、上手からセンターに向かって動いてることはわかるんだけど、その「MOVING」は常に動いているのか、それとも歩いてるのか、それがわからなくて。

石川 今回の作品では、スコアに書かれていないこともやってる?
篠田 えっと、ここに書かれていること全部をやるために色々解釈したんですけど、その全部を矛盾なく成立させるために、ここに書いてないことも結果的にはやってます。それが後半にやった「ダンススコアからおこしてみる」のほうなんですけど、前半の「The Short Chatri / タイトルコール」でやっていたのは、スコアとかそういうことではなく、言語を介さず身体から身体へ情報をコピーしたときに、その情報がどういうふうに記述されていくのかっていうことをやってます、はい。で、タイ舞踊なんですけど、私が理解している範囲なので話半分ぐらいで聞いてもらえればなんですけど、タイには基本的に「劇場に行く」という文化がなくて、結婚式であるとかお葬式であるとか、何か祭り事があるときに一座の人たちが呼ばれて行ってタイ舞踊を披露するんですね。
imt今回、中林にタイ舞踊を教えてくれた先生っていうのは、バンコクにあるナンルーンと呼ばれるエリアでずっと生きてきた人で、その地域というのはタイ舞踊をやる一座が住んでるエリアなんですね。それは今から150年前くらいにラーマ5世という王様から与えられた土地なんですけど、そこは大きな通りに挟まれて三角形になっている土地で。タイでは「三角州にアーティストが住むと栄える」と言われていて、それで王様に土地を与えられてからはタイ舞踊のダンサーだとか、楽団だとか、衣装を作る人とか、いろんなアーティストが住んでたエリアらしいんですよね。でも、今は段々廃れてきてしまっていて、“ラコーン・チャートリー”というタイ舞踊のオリジナルの形を知っている人は、もうその先生一人しかいないらしくて、“ラコーン・チャートリー”のレパートリーであるとか、そこで流す音楽であるとか、衣装の縫い方っていうのを知っているのは先生一人なんですよね。その先生から中林はタイ舞踊を教えてもらったんだけど、あの踊り自体は30年間上演されてなかったんですって。ということは、先生がお手本を見せて、それを中林がコピーしたときに、その踊りというのは30年振りに先生以外の身体によって立ち上がってきた、と。ただ、そこで情報が身体から身体へとコピーされるときに、中林には踊りの素養があるから、瞬時にパッと振り付けを自分の身体にダウンロードできるんだよね。ただ、その段階ではまだタイ舞踊にはなっていないから、ダウンロードしたものを少しずつアップデートしていくという作業がタイでまずあったんだけど。

菅 今日のトークのタイトルにも「情報の圧縮と解凍」とあるけど、圧縮/解凍という行為はプロトコル(約束事)が共通じゃないとできないと思うんですよ。そういうことについては考えたりしたんですか?

篠田 タイで稽古してるときに面白かったのは、タイの子がリハーサルについてくると、コツをつかむのがすごく早いんですよね。そういう意味では、土地にいるプロトコル、土地に染み付いているプロトコルというのはすごく強いんだなとは思いましたけど。ただ、そういう子の場合は逆に、リハーサルを繰り返していく中でアップデートされていくものは見えてこないかなとも思ったり。
石川 ああ、プロトコルが共有され過ぎてるからね。今の話で思い出したのは――遺伝情報が複製されていくときって、DNAの二重らせんが一旦離れて、そこに同じ順番で酵素がくっついて、つまり情報が直接転写されていくんだけど、その複製のノイズみたいなことは必ず生じるんですよ。そのノイズが突然変異になって、それが蓄積していくと進化になっていく。
篠田 なるほど。情報っていうことで言うと、テキスト化できない情報――季節の匂いとか感情みたいなものって……。
菅 ああでも、そういう情報を読み解くってことは普段からやってますよね。こないだ、研究室の床にコーヒーのシミがぼたっと落ちてたんです。それを拭き取って顔を上げると、シミが続いてるんです。それを辿って行くと研究室の外に出たんだけど、それでもまだ続いている。それを拭きながら追っていくと、目の前にある階段の3段めから発生してるのね。そこで「あ、この段で誰かが躓いて、それでコーヒーのシミができたんだな」ということがわかって、僕の中では一応納得がいったんです。最初に見つけたコーヒーのシミという“痕跡”は、そのままでは剥き出しの“痕跡”ですよね。今回のスコアというのも“痕跡”に近い部分があると思う。もちろん、スコアのほうは誰かが「残そう」という意思を持って作り出したもので、コーヒーのシミのほうには誰の意思も介在してないんだけど、どっちにしても人間はそうした“痕跡”を読み解こうとする、と。
★_MG_9254たとえば、「ダンススコアからおこしてみる」を観ていると、1人目の「WOMAN」を演じているときは、それが何であるか理解できないわけですよね。でも、2人目の「MAN 1」のダンスが始まって、1人目の映像とあわさった瞬間に、1人目と2人目の動きがどこかで関わる瞬間があるでしょう。「あ、これ関係してるぞ」とハッとするものがある。1人目も2人目も同じダンススコアに描かれているんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、あえてバラバラにすることによって、絡み合ってるものが顕著になる。客席でそれを観ていると、その状況を読み解いている感覚があって面白かったですね。

篠田 石川さんはどうでした? 石川さんは今日が観劇バージンだってことで。
石川 えっと、事前に色々考えていたことはあるんですね。その一つは、さっきから話に出ている「語られざるプロトコル」みたいなことで。お互いが共有しているコードみたいなものがあるからこそスコアを読むことができるんだけど、コードが失われてしまった途端に、そのスコアは暗号化するわけですよね。発掘された用途不明な土器みたいなものになってしまって、それを再び読み解くためには「これは宗教的行事に使われた土器なんじゃないか」とか、無理やりそれを解釈してストーリーを与える必要がある、と。もう一つ考えていたのは、コードというものには、最初に宣言文があるわけです。たとえばウェブサイトのHTMLのコードにも最初に宣言文があるんだけど、それを聞き漏らしちゃうと、そこから先が文字化けするんですよね。よくメールが文字化けしちゃうのも、最初にある「これは『shift_jis』です」という宣言文をコンピュータが読み落とすから文字化けしちゃうわけですよ。そんなことを考えて観劇していたら、最初に中林さんが登場して「こんにちは」と挨拶をした瞬間に「あ、“宣言文1”がきた!」と思って。そこでまずデコードが行われて、いよいよプログラムを発信するところで「It’s my turn」と中林さんが言って、「あ、“宣言文2”だ!」と。
篠田 そうですね。だいたいそんな感じだと思う(笑)

石川 もう一つの作品、「ダンススコアからおこしてみる」のほうが面白かったのは――このダンススコアというのは、一度意味が失われてしまっているわけですよね。今の話だと「用途不明な土器」みたいなものになっている、と。そうして意味が失われたスコアというのは、ある種のマップとしても読むことができる。つまり、スコアの一つ一つの意味を考えるとよくわからないんだけど、こうやって全体を見るとぼんやりしたマップになっている。
篠田 そうですね、最初はそうやって見てました。このリハーサルは7月2日に始めたんですけど、最初は福留麻里ちゃんと「何となくイメージつくよね」とかって話してたんですよ。マップ全体をぼんやり見ると何となくわかるんだけど、それを使おうとした途端に――いざ“おこしてみる”作業を始めようとした途端に、「全然わかんねー!」ってなって。
石川 仕事で敷地を観に行ったとき、いろんな情報をコレクトしてくるんだけど、その情報をまとめて読もうとすると「わけわかんない」ってなるんだよね。ただ、その情報を要素に分解して、地形、サーキュレーション、ネットワーク……と分解した上で、それをレイヤーごとに重ねてみたときに、その敷地を再発見するみたいなことがあるんですよ。それと同じようなことが、福留さんの姿がモニター上で重なってきたときに起こった気がする。彼女の映像がモニター上にマッピングされると、一つ一つのダンスの意味は謎のままなんだけど、謎は謎のまま、何となく納得したような気分になれる。

篠田 そうなんですよね。でも、一つ一つの意味はわかるはずないんですよ。だって、私だってわかんないもん。アン・ハルプリンがやろうとした、この全体が一体何なのか。
菅 そう、それが過去にどういう意味を持っていたかはわからないんですよ。最後の羽毛のシーンで、よりわかんなくなった(笑)。ただ、マッピングされると何となくわかったように気になれるっていうのは面白いですよね。
★_MG_9298篠田 たとえば、普段から扱い慣れてる“テキスト”というものからおこすのであれば、「何でそれをやれるのか」って意味まで掘れるっちゃ掘れると思うんです。でも、今回初めてダンススコアからおこしてみるってことをやってみたときに、「何でこのタスクがここに配置されてるのか」ってところまでは正直行けてないんですよね。スコアの縦軸には5人書かれてるんだけど、最後の「STAGE HAND」っていうのは「裏方」っていう意味なんですけど、だからこの人はほとんどステージに出て来ないんですよね。ずっと「WHOLE BODY INVISIBLE」になってるんだけど、これはたぶん、ステージ上でずっと何か仕込んでたんじゃないかと思うんですよ。で、最後の最後にセンターで「FEATHERS」とだけ書かれてるから、上から羽を落としたんだと思う。あと、この「YOUNG GIRL」はおきた出来事の痕跡を元の状態に戻していく、と。それを今、スコアからおこそうとしてみると――アン・ハルプリンの作品は50年前に上演されたポストモダンの作品だから、パッと見の印象として古いんですよね。「これはちょっと二次利用しないとダメだ」と思って、その二人の動きに関しては、スコアに書かれた通りのことをやりつつ、いちおう手を加えられました。だから、その二人に関しては「なぜこのタスクをやっているのか」という理由付けができてるんですけど、あとの3人は完全なる一次利用で、「なぜこのタスクをやっているのか」はまだわかりませんね。

菅 わかんなくてもいい感じもするけどね。
篠田 そうですね。わかることを目的として「スコアからおこしてみる」ってことをやるんだとしたら、もうちょっと丁寧にスコアを選んだと思います。今回は「あ、なんかこのスコアがいいかも」ぐらいのことで選んでるので。
菅 本はいっぱい渡したんですよ。いろんなスコアがあったんだけど、このハルプリンのスコアが一番サイズとして大きくて。ただ、見開きページの左側にだけスコアが載ってたんですけど、コピーがちょっとうまくいかなくて、「最後の部分が読めない!」って連絡がきて。
篠田 そうそう。このスコアだけじゃなくて、いちおう他の資料にも当たったんですよ。どうやって上演されたのか。それで、この横軸――上演時間は95分だということもわかったんですけど、それは別にスコアには書き込まれてないので、「それはいいです別に」と。それで、スコアを順番に読んでいくと、最後に「FEATHER」って出てきて。麻里ちゃんとふたりで、「フェザー? フェザーって書いてあるよ?」って。まあ、それを無理やり読み解いていくのも楽しかったですけどね。
石川 そう考えると、このスコアは英語で書かれてるから、読もうと思えば読めるじゃないですか。もっとこう、読めもしないようなスコアを選ぼうとは思わなかった?
篠田 でも、読めない文字で書かれてたとしても、スコアに文字があったら「調べないと」ってなるじゃないですか。書かれている文字は、読めるほうがいいんですよ。図形だったらわかんなくても別にいいんですけどね。

石川 「The Short Chatri / タイトルコール」のほうで面白かったのは、中林さんがタイ舞踊の動きを説明してくれてるわけですよね。その説明によって、私たちにはわからないタイ舞踊というものがデコードされていくんだけど、モニターには英語の字幕が表示されていて、それと同時にタイ語の字幕も表示されてましたよね。篠田さんはタイ語が読める?
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篠田 読めません。
石川 タイ語って、読めない人にとっては線にしか見えないじゃないですか。それによって再び暗号化されるというか、再び手の届かないものになっていく感覚があって、それがすごく面白かったですけどね。
篠田 あれは――あれは良かったですよね。あの映像は今日完成したんですよ。
菅 あそこで中林さんが説明してくれてる言葉っていうのは……。
篠田 あれは中林に聞いて、文字に起こしてもらいました。
菅 タイで先生に教えてもらってるときには、ああいう言葉は発生してなかったってことですよね?
篠田 そうですね。先生と中林はまったく言語が伝わらない同士なので。
中林 まず先生にお手本を見せてもらって、それをコピーしていくんですけど、やっぱり差異があるみたいで「違う、違う!」って言われるんです。ただ、言葉はわからないから、違うところは手で直されたりしながら進めていって。ただ、頭ではわかっていても、何も考えないで動くとまた「違う!」って言われちゃうから、「ここは注意しないと」ってところに気を配りながら踊るんですよね。その心の声を言語化するとああなる(笑)
篠田 それを台詞としてしゃべってもらってるんだけど、本当はもっと同時にいろんなところに集中してるんだよね?
中林 そう、もっとたくさんある。
篠田 言語化されないぶん、もっと情報量が多いんだと思います。
石川 さっき「地元の子が踊ると、もっと早い」って言ってたのは、どういうところで差が出る?
中林 タイ舞踊で有名な動きとして、こうやって手首を反らせる動きがあるんですけど、私はそれが全然できなくて。でも、タイの子がやると、すごくきれいに反ったりする。
菅 じゃあ、身体がプロトコルってことなんだ?
篠田 何だろうね? 中林がタイで先生に教えてもらってるとき、今日観にきてくれてるまおちゃんも一緒に来てくれたんですよ。彼女はタイで育ってるんですけど――タイ特有の手拍子があるんですよ。日本で言うところの三三七拍子みたいなやつ。皆で「お疲れー」とかってときにその手拍子をやるんだけど、私は最初その手拍子がうまくできなかったんですよね。でも、まおちゃんはそれがすんなりできるんですよ。そういう手拍子とかって、いつから身体に入ってくるんだと思います? 回数を重ねると入ってくるのかな? それとも見てるうちに入ってくるんですかね?
菅 その全部じゃないですか?
石川 でも、自分がやらないと覚えないでしょうね。その手拍子はどうやってできるようになったんですか?
篠田 タイだと、小学校ぐらいから皆やってるんだよね?
まお そうですね、小学校の運動会とかでもやってます。それからずっと、高校を卒業するまでいろんな行事のときにやってました。
篠田 日本でも、“江戸締め”と“上方締め”みたいな違いがありますよね。「じゃあ手締めを」となったとき、ちょっと混乱するときがあったりして。
石川 それも語られざる――だけど共有されてるコードってことですね。

篠田 前に石川さんと話してて面白かったのは、建築の図面の話なんですよね。建築家の人たちは建築の図面が読めるけど、お客さんはそれが読めないから3D化する必要がある、と。でも、建築の図面というのは本来、完成図が描かれているわけじゃなくて、もっと遠いところにあるイメージにたどり着くために描かれるわけですよね。この「ダンススコアからおこしてみる」でやったことも、ここで描かれている完成図を具現化したってわけじゃなくて、スコアからは遠いイメージにある感じがすごくあって。
★_MG_9274石川 ああ、なるほどね。さっき言ったように、建築の図面もダンススコアも、そこにある約束事をお互いに了解していなければ、それはまったく意味のないグラフィックになってしまう、と。じゃあ何のためにスコアにするかっていうと、一度意味のないグラフィックに還元しないとコピーもできないし、皆に配れないからなんだよね。皆で共有するために、わざわざ抽象化してスコアにするところがあるんだけど、その抽象化の方法が高度であれば高度であるほど、それを読んだり描いたりするトレーニングにものすごく時間がかかる――これがスコアというものの特徴ですよね。お客さんはいきなり図面を渡されても読み解けないから、それで完成予想図のCGが発達して行ったわけですけど、逆に言うと図面自体は完成予想図を描いているわけではないんです。図面を描いている側も遠いスケールのことをイメージしながら描いているし、図面を読む側もそれをきっかけに何かをイメージするわけです。
篠田 そうですよね。私もスコアだとか自分の描いたスケッチブックを見ているときに「あ、これで作品ができる」という確信を持つ瞬間があるんですけど、それは別に、完成予想図が見えてるわけじゃないんですよ。生々しいイメージが見えるわけじゃなくて、頭の中で全部の配置みたいなものが遠くにイメージできると、それをもとに具現化できる。
菅 たとえば作曲家は、頭の中にあるイメージを共有するために楽譜に起こす、と。建築の場合も頭の中にあるイメージを共有するために図面にするわけですよね。僕の場合は、頭の中に流れている映像のイメージを共有するために絵コンテにする。つまり自分の中に理想型があった上で、それを共有するためのツールとしてスコアにするんだけど、今回はその逆ですよね。イメージがない状態でダンススコアを渡されて、それを具現化しなきゃいけない。
篠田 そうそう。そこで苦しんでたんだけど、リハーサルのときにいしい君が映像を用意してくれて、一人目の「WOMAN」の動きと二人めの「MAN 1」の動きが重なっている映像を見たときに、そこで「あ、いけるかも」と思ったんですよね。そこはやっぱり、頭の中でイメージしてるだけだと無理だったかもしれない。あともう一つ、麻里ちゃんが「このカウントのとき、この4人はこういうことをやっている」っていうコンテみたいなのを描いてきてくれたのも大きかったですね。それも本当は私がやんなきゃいけないことなんですけどね。このダンススコアって、一人一人の動きをおこしただけだとごちゃごちゃしててサッパリわかんないんですよ。それをどうミニマムにするかっていうときに、一人ずつがバラバラなことをやってるんじゃなくて、一つの情報にまとめればいいんじゃないか、と。だから、“手を差し出してる人”と“手を差し出してる人”というバラバラな情報のままにしておくんじゃなくて、縦のラインを見ながらそれを“二人が手を叩く”という一つの情報にまとめていくことで、ようやく見えてきたところがありますね。

石川 見てるほうとしては、最初の1クール――「WOMAN」の動きを見ているときの放っとかれ感がすごいですよね。とりとめもないというか、「どうしたらいいの?」みたいな感じがすごくある。でも、その「WOMAN」の動きと「MAN 1」の動きが重なったときに感動しますよね。KTタンストールっていうミュージシャンがいて、その人はリズム、ベース、ギター……と、ワンフレーズずつ演奏しながら録音していくんですよ。それが最終的に重なっていって曲になるんだけど、それをちょっと思い出した。
菅 今回はモニターを設置して、そうやって一人一人の動きが映像で重なっていくようにしたわけですけど、それは最初から考えてたんですか?
_MG_9237篠田 いや、最初から考えてたわけではないですね。最初はまず「おこす」ってことを丁寧にやってたんですけど、縦軸には「WOMAN」「MAN 1」「MAN 2」「YOUNG GIRL」と4人いるわけですよね。「STAGE HAND」を加えると5人になりますけど、でも今回の出演者は麻里ちゃん一人しかいないから、一人ずつやっていくしかないんですよ。ただ、「ステージに4人の出演者がいるダンススコアだ」ってことは残したいなっていうときに、「映像がいいな」と。ただ、今回は「ダンススコアからおこしてみる」ってタイトルの作品ですけど、スコアと身体っていうものは離れているじゃないですか。そこに差はつけたいなと思ったんですよね。だから、今回は二人目の「MAN 1」がやってるとき、モニターに映した映像では「WOMAN」の映像だけが流れていて、今踊っている「MAN 1」の映像はそこに重ねなかったんです。あそこで流してる映像はリハーサルの映像を重ねたものだから、リアルタイムで重なっていくような映像にすることもできたんですけど、それは“ここにある身体”と“記録されたスコア(としての映像)”に差をつけたかったっていうのはあります。

石川 中林さんが踊った“ラコーン・チャートリー”、他にはどんなダンスがあるんですか?
篠田 ああ、それは結構大事だ。タイ舞踊にはヘッドドレスがあって、ダンスのときにはそれを頭につけるんですけど、それはいろんな種類があるんです。王様とか女王とか、こどもの王族とか一般人とかがあって、それは基本的にいろんなお話で使い回すんですけど、猫のヘッドドレスを使うのは今回やった“チャイヤチェット”というダンスだけなんです。そのヘッドドレスが可愛かったので、あのダンスを選んだっていうのもある。
石川 じゃあ、ダンスの中にあんまり動物は出てこない? 猫だけが例外的に出てくる?
篠田 “チャイヤチェットは”ヴィラさんっていう猫のお話なんですけど、猫がお話に出てくることはすごく少ないみたいですね。細かい話をすると、タイ舞踊には“コーン”、“リケイ”、“ラコーン”の3つに別れるんですけど、“コーン”は神様たちのお話なので、神様のマスクとか魔物のマスク、たまに動物のマスクが出てくる。“ラコーン”は基本的に人間の話が多いので、おばけのマスクとか、バーバリアンであるとか、あとはジャイアントのマスクが出てくるんですよ。ゾウとかワニとか龍とか、動物がお話に出てくること自体はあるんですけど、動物のマスクは猫だけでしたね。

★_MG_9110石川 へえー。タイにおける猫のポジションってどんな感じですか?
篠田 猫自体はそのへんに腐るほどいるんですけど、特に神聖な生き物ではなくて、“チャイヤチェット”に出てくるヴィラさんはお姫様の飼い猫っていうポジションなんです。だからそれを人間が演じるダンスがある、と。それ以外の動物は、お話の中で語られることはあっても、それを人間が演じることはないんですよね。
石川 猫って、微妙に人間の言うことを聞かないじゃないですか。犬だと名前を呼ぶと寄ってきたりするけど、猫はまたちょっと違いますよね。
篠田 でも、タイの犬はあんまり言うこと聞くイメージないですけどね。ドイツに行くと「ああ、犬ってやっぱ躾されてる」と思ったりするけど。
菅 あ、動物にも国民性みたいなのがある?
篠田 あると思います。タイの犬は太ってて、道路ででっぷりして寝てる。大きい通りに出ると、コンビニを見かけるくらいの頻度で寝転がってる犬がいますから。
石川 猫の動きを見ていると、すごく無駄がない感じがするじゃないですか。でも、そのわりには一個一個の動きを見ていくと、それぞれの動きはよくわかんなくて。それが何となく……。
篠田 繋がったんですか?
石川 そう。つまり、スコアというのもそういうものだ、と。全体を通してのストーリーみたいなものはありそうな感じがするんだけど、一個一個の意味を考え始めるとわかんないという。そういう意味では、猫っていうのは題材としてすごく――いや、いいです。考え過ぎだってことはわかってます(笑)
篠田 考え過ぎですよ(笑)。でも、嬉しいです。そこまで考えてくれたってことが。

Q&Aタイム

会場 後半でやったアン・ハルプリンの作品ですけど、これは最初に上演されたときはどういうシチュエーションだったんですか? 今回は一役ずつ上演されましたけど、四人の役をまとめて上演された?
篠田 絶対そうだと思いますよ。色々資料にも当たってみたんですけど、私の想像できる範囲で言いますと、これが上演されたのは大きな劇場で、後ろのバックステージには袖幕があって、バックステージと楽屋のあいだにはスリット状の幕があったんだと思います。それで、4人が95分かけて上演する、と。だから、今日やってみせたのよりはもっとバラッとした感じだったんじゃないですかね?
菅 そのスコアが載ってる隣のページに、劇場の図面が載ってたんだよね。
篠田 そうそう、「これだ!」みたいな。でも、確信はないですけど。

会場 今日は事前にダンススコアが配られましたけど、初演のときにもこういうノーテーションを渡されていて、お客さんはそれを見ながら舞台を観ていたんですか?
篠田 それは違いますね。私、思うんですけど――60年代に流行ってたんですよ、きっと。ジョン・ケージとか、フルクサスとか、いるじゃないですか。そういうオシャレだったんです。このスコアはオシャレで作ったんだと思います。
石川 アン・ハルプリンの旦那って、ランドスケープデザイナーとして超有名なローレンス・ハルプリンなんですよね。
篠田 へえー! そういいえば、ダンススコアの隣に噴水のグラフィックスコアも載ってました。
石川 ローレンス・ハルプリンが設計した広場として、ミネアポリスの「ニコレットモール」があるんです。それはすごく有名な広場で、歩道にちょっとしたくぼみがあってそこに座れるようになってるんですけど、それは本当に、このアン・ハルプリンのダンススコアを3次元に起こしたような構造になっているんですよね。そのノーテーションはきっと、嫁の影響なんです。ただ、俺もニコレットモールに行ったことありますけど、じゃあノーテーションの通りに歩くかと言うと、その通りには歩かないですけどね。
篠田 ミネアポリスにある? なんか、機会があれば行ってみます。
石川 たぶん、スコアの隣に載ってるのはサンフランシスコの広場にある噴水だと思う。
篠田 私、去年サンフランシスコに行ったんですけど、あそこはすごく面白い地形をしてるんですね。とにかく坂がすごくて。ずーっと坂だから、平地に行くとコケまくるんですよ。
石川 ああ、身体が坂モードになっちゃって?
篠田 そうそう。
石川 何故サンフランシスコは坂が急かというと、あんなでこぼこした土地なのに、無理やりグリッドをかぶせてるからなんです。「いや、その地形だとまっすぐ行けねえだろ」ってところも直線に道路を引いているから、より坂道が強調されている。村がちょっとずつ発展して街になった場所であれば、もっと楽に歩けるように道が敷かれていくはずなんですけど、サンフランシスコは全体を一気に計画して、地図上で格子状に道路を描いたからああなったんです。だから、グリッドが面白いのは、そうやって機械的に線を引くことでその土地の特徴が際立つことなんですよね。

会場 今日のAプログラムは、口承と残されていくものとスコアで残されていくものの対比が面白かったです。演劇というのはもともと一回限りのものだと思うんですけど、それを残していくってことを考えたときに、演劇は戯曲という形を取ることが多いですよね。なぜ演劇は戯曲という形を取るんだと思いますか?
篠田 その問題はBプログラムで扱うことになると思うんですけど、それを考えていくと「なぜ人間はストーリーを必要とするのか」「今見ているものを自分たちで書いてみるっていうことはどういうことなのか」ということに繋がってくると思うんです。これはちょっと、今すぐは答えられないんですけど、麻里ちゃんと「ダンススコアからおこしてみる」を作ってるときに話してたのは、「これって超ホットなトピックじゃない?!」ってことで。ちょうど憲法の解釈がどうとかってことが話題になってた時期でもありましたけど、私たちがこのダンススコアから出来事をおこすってときに、解釈がすごく重要なんですよね。その解釈が自分勝手じゃいけないんだけど、それを今おこすからには、今の状況にあわせて作らなくちゃいけなくて。誰かが過去に書いたものを、自分たちが今利用するとなったときに、「何のために使うのかが重要だな」と。それをやるためには自分たちで考えたステートメントを最初に示さなくちゃいけないし、「解釈してもいいじゃん!」って気持ちになったんですよね。

会場 これまでは戯曲が中心でしたけど、これからの人はどういう方法で残していくのかってことに興味があって。忠実に再現できるように残すのであれば映像で残すっていう方法もあると思うんですけど。あと、そもそも篠田さんは残すことに興味があるのかも聞きたいです。
★_MG_9130篠田 “残すこと”より“残ること”のほうに興味がありますね。ずっと演劇を続けてる一番の理由は、残らないからだと思うんですよ。ただ、自分は瞬間的なものをやっているんだけど、それでも必ずどこかに残っていくものはあると思っていて、そこで何が残っていくのかに興味があるんだと思います。それと、残す方法として映像で残すのが一番再現率が高いかというと、それにもちょっと疑問があって。ダンススコアからおこしてみるってことを決めたとき、舞踏ダンサーの捩子ぴじん君と話してたんですよ。「あるダンスを再現するときに、ローザスが踊っているときにアゴがしゃくれちゃってたとしても、アゴのしゃくれまではコピーしないよね。だけど、土方巽が同じことしてたら、コピーするでしょ。」って言われて。そこでアゴがしゃくれたのは偶然かもしれないし、もしかしたら振り付けかもしれない、それがどこまでアクシデントなのかはわからないわけですよね。だから、ダンスを完コピするなら映像のほうが再現率が高いですけど、ダンススコアみたいに一度抽象化されたもののほうが、そのダンスの意図を一回自分の中に取り込んで立ち上げるという意味では、もしかしたら再現率が高いのかもしれない。
石川 すごく面白い話ですね。僕が建築の連中と文化調査に行くと、彼らは崩れ掛かったような建物に入って行って採寸してくるんですよね。最初に何を採寸するかというと、柱のピッチを取るんです。建築をやっていない人間からするとただの崩れ掛かった建物なんだけど、彼らはそこからルールを抽象してくる。それはね、3Dスキャナーでまるごとコピーするのとは全然方法が違うんですよね。結局、二通りの残し方があると思うんです。何を演じるのかという意図を強く残していく方法と、どう演じるかだけが残って、何のためにそう演じられていたのかは失われていく方法と。
篠田 たとえば、バッハの楽譜がありますよね。その楽譜をもとにバッハの曲を演奏するとしても、当時と今とでは使われている楽器も違うし、演奏する人だって違うし、それが「バッハの時代の音を再現できたのか」となると全然違うわけじゃないですか。そこには綺麗なプロトコルになったバッハの楽譜があるだけで、昔やってたことを再現するみたいな意味はないわけですよね。そう考えると、「昔の出来事をそのまま再現する」ってことが生まれたのは、ものすごく最近なのかもしれないですね。何かを抽象化して残していくってことは太古から行われてきたかもしれないけど、完璧に再現できるように残していくというモチベーションが昔からあったとは思えませんね。

会場 戯曲の話をすると、たとえば歌舞伎もテキストは残ってないですよ。今はもちろんテキストになってるけど、最初に出版されたのは大正になってからで、それまでは口承だったんですよね。テキストで残していくというのは西洋の伝統で、東洋は基本的に口承、あるいは見て真似をするってところから入るわけですよね。それで、ハルプリンのダンススコアについて話をすると、さっき篠田さんが「解釈していいじゃん!」と思ったのはとても重要で、このダンススコアは物語でも何でもないわけですよ。ハルプリンをはじめとして、ポストモダンダンスの人たちがやろうとしていたことは、「人間が何かパフォーマンスを行うとどうしても物語に回収されてしまうから、自分たちはなるべく意味のないことをやろう」ってことで。それは今日のパフォーマンスでも非常にうまくできていたと思うんだけど、最後の最後、「STAGE HAND」のパートで意味を出しちゃったわけでしょう。それまでの4人のダンスをすべて括弧にくくって、「それを観ている私たちはとても演劇的だ」と。そのメッセージというのはアン・ハルプリンの考えていたこととは正反対のことで、それは篠田さんのメッセージだよね。でも、私はすごく傑作だと思った。ハルプリンたちがやろうとしたことは、とどのつまり、意味のないことをするのはいかに難しいかってことで。
篠田 でも、60年代には「意味のないことをする」っていうことに意味があったわけですよね。彼女たちには「意味のないことをしたい」っていう理由が、きっとあったんですよね。タスクって言ってるわけだから、何をやってるかはわかんなくていいんですよ。要するに、この時の人たちの気持ちがどうだったかみたいなことはいらない。
石川 当時はおそらく、解釈の余地のない無意味さみたいなのではい終わり、っていうのを観客に強いていた。だけど今の時代から当時を振り返ってみると、それなりの歴史的な文脈の中に位置づけられちゃうのが、興味深いですね。

(2014年7月13日、SNACにて 構成・文=橋本倫史)

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